【バースデードネーション】誕生日の報告が嫌いな人が誕生日の報告をする理由
こんにちは。
本日38歳の誕生日を無事に迎えられた黒門カルチャーファクトリー支配人の「よら( @yora_designist )」と申します。
毎年人生で一番楽しい1年を更新している気がします。最高!
でもいきなりですが僕は誕生日の報告とか好きではありません。
なぜならその報告を受け取る側にとっては
「で?」
以外の何者でもないからです。
そんな僕が誕生日の報告をしているという矛盾をブログで残したいと思います。
登場人物
誕生日報告って何なん?
誕生日報告。
これ賛否両論あると思いますが、僕は自分では投稿しないし人の投稿にもよほど気が向いた時以外反応しないようにしています。
人に誕生日を連絡するFacebookの誕生日アプリは速攻で切りました。
コミュニケーションのネタとして提供してる投稿は違和感を感じないけど、コメントする側が「提供」してあげないといけないような投稿には違和感がすごくて。
承認欲求を満たしてあげるのが苦手村出身の者です。
発信の先には必ず人がいる
人によっては「で?」っていう反応は色んなところであると思います。
例えば自分の趣味や好きなものとか。でもこれならまだわかるんですよ。その人の人間性や好きなものがわかるのでそれに共感した仲間も増えていきます。
誕生日のイベントには意味があると思います。でも誕生日自体には特に何もないじゃないですか。受け取る側にとってあまりにも関係ない。その人の年齢が1つ上がろうがどうであろうが、その人のことが好きだったら何も対応は変わらないと思うんですよね。
今日で38歳になりましたー!とか何なんあれ?構ってちゃんアピール?
皆と喜びを分かち合いたいんだよ。ほら、喜びは分かち合うほど増えるって言うでしょ?
お前、他人の誕生日嬉しいの?来年もこの日が待ち遠しいよぉってなんの?
…でも、その人が楽しそうだなぁってのを見るのは楽しいよぉ。
それ喜びを分かち合ってるか?
・・・・・・。
報告を受け取る側の視点
誕生日の報告を受けた人たちは少なからずおめでとうと言わなければみたいな気持ちになるんじゃないかと思うわけです。
おめでとうを言わなかったら冷たい奴と思われるんじゃないかとか。
発信者側は別に気にしてなくても、受け取る側は心配になったりする人もいると思います。
その同調圧力的な目に見えない雰囲気があんまり好きじゃない。
周りの奴らがコメント入れてるから自分もコメントしなきゃ!みたいな自分の無い奴もいるよな。
純粋にお祝いしたい人だっているんだよ~。でも同調圧力とか仲間はずれになる不安を感じてコメントしてるとしたら辛いよねぇ。
おめでとうコメントへの対応
(実際にはありもしない同調圧力を感じて)おめでとうコメントが増えれば増えるほど、発信者は今度はありがとうラッシュを仕掛けるターンになります。
反応してくれる人の数が多いのは嬉しいんですが、その内容がほぼほぼおめでとうだけの場合、もう返すコメントが浮かばなくなってきます。
そうするとただ「ありがとう!」と返すのが精一杯。機械的にありがとうラッシュを繰り出し始めます。
それはもう義務感のようになって、発信する側も受け取る側も双方あんまり幸せじゃないなぁと思うんです。
「おめでとう!!」ってコメントにお前ならなんて返すんだ?
普通に「ありがとー☆」じゃないかなぁ~。
で、それが100件繰り返された時に他の奴らから見たコメント欄はどう映ると思うんだ?
う~ん、流れ作業に見えなくもないかなぁ~。あ、じゃあ☆を♪とか♡に変えよっかな!
・・・・・・。
誕生日報告をする理由
僕は研究肌なのか「もっとこうしたらいいのに」と考えるのが好きなんですよね。
誕生日報告も何か意味のあるものに変換できないかな~と思ってたところにバースデードネーションというものに出会い、これを試してみようと思いました。
僕なりにですがこれで誕生日報告に意味が出てきます。
バースデードネーションとは
自分の誕生日に友人や知人からお祝いの代わりに支援したい団体への寄付を募る活動です。
全然要らない食器を買ってくれるお金を誰かの役に立つ寄付にまわしてくれよ!ということですね。
その方が誕生日の人も嬉しいでしょう。
それで以前こんな投稿をしていました。
ちなみに皆さんはお金をどう使う時に幸せを感じますか??
上のFacebook投稿より引用
サロン限定の内容なので全部は書けませんが、横山文洋(わいざん)が紹介していたひろゆき氏の著書「これからを生きるため無敵のお金の話」ではこんな事例があったそうです。
①僕が500円をもらって自分で使う
②僕が500円をもらって、誰かにそのままあげる
自分で使った方が物質的には得なのにどうやら精神的には②の方が満たされるらしいんです。
人にお金を使うのって思ってるより楽しいんですよね。
自分を満たすためにお金を使うのだとしたら寄付という選択肢はすごくコスパが良いのではと思うわけです。
おそらくこの感覚はクラウドファンディングやPolcaを経験してる人なら感じたことあるんじゃないでしょうか。
子どもがいない家庭と親と暮らせない子どもがいる現実
僕は高校2年の冬に家を出てから一人暮らしになりました。
その後は静岡、東京、名古屋、大阪と割と転々としてきました。
17歳で家を出てから実家に足を踏み入れたのは1度だけ。
そのあたりの家庭環境はミュージシャンタレントのうおしーらん(@uosheeran_song)が記事にしてくれているので、良かったら読んでみてください!
うおちゃんは文章が上手で分かりやすい!
よら -人と人の関係性をデザインする「デザイニスト」
僕自身幼少期の経験からか漠然と温かい家庭というのが夢だった時期があります。
子どもにとって家庭環境はすごく大事です。でも家庭で過ごせない子ども達もたくさんいる。
家庭って当たり前じゃない。
施設で過ごすのと家庭で過ごすのでは子どもの精神形成に大きな違いがあるみたいなんですね。僕は専門家じゃないので詳しいことは分かりません。
でもそういう施設で過ごすしかない子ども達を家庭環境で生活させてあげられる仕組みがあります。
それが養子縁組や里親制度というものです。
NPO法人 日本こども支援協会
この制度の普及を進め、虐待死、ゼロを目指しているのが日本こども支援協会さん。
僕が黒門カルチャーファクトリーに関わる以前から黒門オーナーのばたやん(溝端康祐)が支援していて妙な縁を感じるNPO法人さんです。
僕は親子も含めて全員他人という価値観を持っています。
\よらの価値観/
— よら|デザイニスト水野嘉彦 (@yora_designist) 2019年1月6日
「全員他人」
他人はコントロールできない。
親子・夫婦という枠で考えず個人を尊重しています。
「メメント・モリ」
自分も他人も次の瞬間に死ぬかもしれません。
必ず来る別れ。
日常を大切にすることがその準備だと思います。
最良の別れのための不断の努力を。
子どもは年齢や発育によって選択肢が制限されてるけど、大人と変わらない1人の人間。基本的には対等だと思っています。
里親制度で子どもを受け入れるのは、家庭側から環境を与えてあげるだけでなく、家に来てくれる子どもからも多くを学ばせてもらえるものだと思います。
僕には子どもはいません。今後作ることもありません。
もしも子どもを迎え入れるとしたら養子縁組か里親制度を利用し、その時は日本こども支援協会さんに相談しようかなぁと考えています。
相変わらず子どもは苦手だし、自由にフラフラしてるのが好きな僕ですが、このバースデードネーションで何か意味のある誕生日報告になったら面白いなぁと思います。
といってもこれが強制感や同調圧力になったら本末転倒なので、日本こども支援協会さんのサイトを見て共感できると思ったら寄付してもらえれば嬉しいです。
共感できないところに寄付はしなくていいと思います。
一度サイトをのぞいてみてください!