「好きなことで生きよう」という暴力
「好きなことで生きていく。」
むちゃくちゃ良い響きです。そりゃあもうそんな生き方ができたら理想的だと思う。
でも、こうやってキラキラした言葉を使って迫るのって結構人を傷つけてるなと思うんです。
悪意がある・ないに関わらず。
昨日ライブ配信でお話した時にこんなことがありました。
登場人物
やりたいことがないという話
僕は毎週水曜にペリスコショッキングというライブ配信をしています。
テレフォンショッキング形式で次回ゲストを紹介してもらい、お喋りしながらそのゲストを深堀りしていく番組なんですが、その中でゲストがこんな話をされました。
「周りはどんどんやりたいことを始めていっているが自分にはそれがない。」
これ、めちゃくちゃ世の中に溢れてるんだろうなと思う。
そして溢れてるからといって軽いわけではなく、本人にとってすごく重くのしかかる問題なんですよね。
でもいつも思うけど、『本当に皆やりたいことをやっているのかな?』
始めていってる人の中には『周りがやり始めたから自分も何かやらなきゃその輪の中で存在意義がなくなる』と焦ってる人が含まれてるんじゃないかな?
おっかけで始めた奴らなんてほぼ洗脳にかかってんだろ。
洗脳ー?
SNSならSNS、YoutubeならYoutubeでそれやってたら上。逆にやってなかったら下みたいなクソな雰囲気ってやつ?むしろクソ?
チャレンジしてみることは良いことだけどねー。
コミュニティは人を守り、コミュニティは人を追い詰める
本当にやりたいことかを検討に検討を重ねてGOしなきゃいけないと言ってるわけじゃないんです。
それを一生続ける必要もなくてもっと気軽でいいのかなって。
無理してるとやっぱり楽しくないじゃないですか。
1つのコミュニティにドップリ浸かってしまうと、そこで生きられなかったらもうダメだと思い込んでしまう。
それって全然楽しくないですよね。
これを僕は自分の経験から小学生の社会と比喩しました。
その時の記事はこちら↓
信者の言葉を判断基準にするな
死ぬぐらいなら殴っちまえよ。
暴力はダメだよー。
世界広がるぞ?
他の広げ方ないのー?
人を応援する才能
思うにやりたいことの定義の問題なんだと思う。
やりたいことは自分が事業を始めるだけじゃない。人の事業をサポートしたいという想いもやりたいことになり得る。
そのポジションは実はすごく良い生き方で、周りに前者が増えれば増えるほど自分の人生が楽しくなるようにできています。
応援するほど楽しみが増える。すごく良い好循環が生まれててビビる。
僕には人を先導したい野望もどうしても伝えたいこともない。
— よら|黒門支配人 水野嘉彦 (@yora_designist) June 5, 2020
あるのは「この方が面白いじゃん」だけで、自らの環境のIT化も周りの人が豊かになることも僕の中では面白いこと。
その想いを言葉にする練習の為にブログを書き、ライブ配信で喋る練習をする。自分の人生をもっと面白くする為に。#よらism
僕自身どうしても人に伝えたいことはそれほどない。だから無理して発信しようとすると時間がかかるし、ネタに悩んで今日も制限時間をオーバーしている。
自分で決めたルールだけど順調すぎるプール額だよ。。
5000円いったら何かしようと思います。恐らくおすすめする飲食店の招待券とか。
僕は生活の中にオンライン化やIT化を浸透させるのが好きです。
ITの技術は前者(自分でやりたい人)と後者(サポートしたい人)を繋げる役割がある。
だからこれからも書いていこうと思います。